瞑想とは・・・
(2026年9月6日瞑想会、Nanaさんのアドレスです)
【日常の騒音から一歩、身を引く】
みなさん、ようこそお越しくださいました。
こうして皆さんと集まり、共に静かな時間を分かち合えることを、心から嬉しく思います。
これから瞑想を始める前に、私から少しみなさまにお話をさせていただきます。
私たちが生きているこの地上の世界は、本当に忙しい場所ですね。
朝、目を覚ました瞬間から、私たちはあれこれと今日の予定や、やらなければならない雑事、あるいは心のどこかにある心配事の波に、無意識のうちに飲み込まれていってしまいます。 あっちへ走り、こっちへ走り、常に何かを考え、判断し、行動している。
それはまるで、心の中に「騒音のラッシュ」が絶え間なく響いているような状態です。
この瞑想の時間は、まさにその「一時的な退避」の時間です。
今、部屋のドアを閉めたと同時に、私たちが外の世界に置いてきた役割や、頭を悩ませていた心配事を、いったんそのドアの外に置いておきましょう。
ここでは、何かを判断する必要はありません。
何かに追われる必要もありません。
ただ、ご自分の内側にある静かな「港」に戻ってくる、そんな気持ちでリラックスしてください。
【真のリラックスと、内なる宝の発見】
さて、「リラックス」という言葉についてですが、それは、単に「椅子にふんぞり返って、体を休めること」ではありません。
スピリチュアリズムでいうところの真のリラックスとは、「身体の活動を一時的にストップさせて、静かに休息し、内なる本当の自分――内なる『神性』を取り戻すこと」です。
日常の忙しさに追われていると、私たちはどうしても「肉体(物質)」が自分自身だと思い込んでしまいます。
けれど、私たちは肉体をたずさえた霊であり、霊をたずさえた肉体ではありません。
霊が主人(王様)であり、身体は召使い(従者)にすぎないのです。
この瞑想の時間、私たちは肉体という「召使い」の活動を一時的にストップさせ、主人である「霊」――つまり「本来の私自身」に、その威厳と力、そして美しさを発現する機会を与えてあげるのです。
そう、それは、私たちが神の一部である「神性」を取り戻すことでもあるのです。
私たちの中に眠っている生命の井戸から、尽きることのないエネルギーを汲み上げるために、ただ静かにたたずむ時間を自分に許してあげましょう。
【静寂の中で大いなる生命力と調和する】
さて、瞑想の中で、私たちは「魂の静寂」に入っていきます。
この「静寂」こそが、見えない世界にいる愛の存在たちや、宇宙の根源である大霊(神)と波長を合わせるための、唯一の鍵となります。
静寂の時こそ、背後で私たちを見守っている存在が働きかける絶好の機会なのです。
片時も静寂を知らない魂は騒音のラッシュの中に置かれており、彼らが近づくことを不可能にしてしまいます。
ですから、少しの間、この静寂を共にしましょう。
私たちの呼吸一つをとっても、実はそれは、全宇宙を創造し、星々や天体を狂いなく運行させ、太陽に無尽蔵のエネルギーを与え、大海の満ち引きを司っている、あの驚異的な「宇宙の生命力(大霊)」と同じものです。
その完璧な大自然の法則そのものが大霊であり、私たちはみな、その一部なのです。
ですから、完全にリラックスして静かになったとき、私たちは「自分が宇宙のすべてと一体であり、狂いのない完璧な愛と摂理のなかに抱かれている」という絶対的な安らぎを取り戻すことができます。
「自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ」という揺るぎない確信が、静寂の奥底からじんわりと湧き上がってくるのを感じるでしょう。
【結び:身を委ねて、静寂のなかへ】
最後に、みなさまにお伝えしておきたいことがあります。
取り越し苦労や心配の念は、私たちの心に「濃いモヤ(霧)」をこしらえ、光の流入を遮断してしまいます。
この時間は、明日が何をもたらすかを心配するのをやめ、ただ「今、この瞬間」に存在し、ただただ静寂の中に身を委ねましょう。
あなたが身を委ねれば委ねるほど、内なる静寂は深まり、大霊の心があなたを通して豊かに流れ始めます。
何かを観ようとしなくてもいい、聞こうとしなくてもいい、感じようとしなくてもいい、感じなくてもいい。
この時間は安心して、ただただ、この神聖な静寂の中に、ただ身を置いてください。



